asaの足あと

何気ない暮らしと、その中で、日々こぼれ落ちるささやかな幸せと小さな痛みをそっと静かに残すように、このブログをしたためています。

不安と孤独の理由を知る

子どものとき何をするのがいちばん好きだったか
と、娘にきかれ、言葉につまった。

思い当たることがなにもない。
好きなことのない子どもだった。

何がいちばんほしかったか、
ともきかれ、また言葉につまった。

思い出せない。

だから、寝るのも惜しんで遊ぼうとする娘が、
おもちゃ屋さんでなんでもかんでもほしがって駄々をこねる娘が、
うらやましくもあり、まぶしくもあり、不思議でもあったりする。

けらけら笑うその無邪気な声をききながら、
私にもこんな一面はあったのだろうかと、
過去の自分をほじくりかえす。

冷めた子どもだった気がする。

あまりおもちゃは持っていなかったけど、記憶に残っているもの。
コンロのつまみをひねると透明のお鍋の中の水が
ぷくぷくぷくとリアルに動くままごと用のキッチンセット。
確かお下がりの頂き物だった。
そのつまみをひねって、ぷくぷく沸騰している水を
ひとりぼんやりと眺めていた。

後ろ姿はどんなだったんだろう。
はたからは、夢中で遊んでいるようにみえたのだろうか。

小学校に入学してからも好きなこともなければ得意なことも何ひとつなかったけど、
ちょっとした文章をかくと大人が笑いかけてくれることに気がついた。

誰よりも喜んでくれたのは父だった。
いつも絶望と不機嫌をまとっていた父が、私の作文をよんで
「おまえはすごいな。さすがおとうさんの娘やな」と笑ってくれる。
『さすが自分の娘だ』とは、どこまで自信と自意識が過剰なのかと
今ならあきれ返って笑いとばしてしまいそうなものだけど。
あの頃の私は、その儚い笑顔がほしくて、
そして、父が穏やかなときだけ束の間おとずれる平穏な家庭を求めて、
本当はすごくもなければ上手くもない、ましてや好きでもなんでもない
言葉をつらねては、紙につづっていった。

本当に求めていたのは、父の笑顔ではなく、
その束の間の平穏の中でほっと胸をなでおろす
母の安堵だったのかもしれない。

母は子どもに愚痴も怒りも涙もめったに見せなかった。
大きな声で話し、外でたくさんの笑顔と愛想をふりまく明るい人。
友だちに「asaちゃんのおかあさん大好き」とよく言われ、鼻高々だった。自慢の母。

でも遠かった。母との間にいつもなんとなく壁を感じていた。
強さと明るさで塗りつぶされた壁。

あれをしなさい、こうしなさいなど、うるさいことは一切言われず、自由奔放に育てられた。無力な私は、自由をもてあました。

 

大人になってようやく壁の向こう側をのぞかせてもらったとき、母の弱さと闇を知った。

なるほど。そういうことか。
ずっと母に守られつづけながらも感じていた、不安と孤独の理由が分かった気がした。

 


毎朝、夫と娘と暮らすうちのキッチンで、味噌汁をつくる。
3人分の朝・晩の味噌汁。
ぷくぷくぷくと野菜がしんなりしてゆくのをながめて、火をとめ、味噌をとかす。
自分用のお椀になみなみついで、なみなみ味見をする。
体中に染み渡る味噌汁に、心底ほっとする。
夫は、別の部屋でスマホかPCをいじっている。
もうすぐ娘を起こす時間。
そのとき、そこには不安はない。孤独もない。

ふいに思う。
私がほしかったのは、これだったのかもしれない。

そして、そんな日常を言葉にしてみる。
相変わらずすごくもなければ上手くもない、だけど、もしかすると好きなのかもしれない、と思う。