園庭で 友の声背に 紅い葉を 私のために 拾う愛娘
ふと思いたって、 一昨年の秋にかいてみた短歌です。
短歌を進んで読んだことも、嗜んだこともなくて、ただ5.7.5.7.7にあてはめてみただけ。
むいていないようです。もうなにひとつ、うかんできません。
娘は、年少の学年になる春に、それまで通っていた乳児保育所を卒園し、今の保育所に転園しました。
なかなか新しい園に慣れず、 転園して半年ほどたっても、 よく泣いていました。
保育参観のとき、遊戯室で先生のピアノにあわせてステップする子どもたちの輪の中に娘の姿はなく、片隅にうずくまって一人泣いているのをみたときには、びっくりしました。
秋には、園庭で拾った落ち葉を持って帰ってきてくれました。
私が喜ぶと、次の日にまたもう1枚。
「ひとりで拾ったの?」ときくと、うん、と頷く娘。
クラスメイトが遊具などで遊ぶなか、ひとり落ち葉を探す娘を思いうかべると、それはとても素敵なようで、とても愛おしく、でも、切ないような、なんともいえない気持ちでした。
ひとりでも楽しいと感じていたり、凜としているのであれば、それはたくましく、素敵なことだと思うのですが、娘は決してそうではなく、心細く、淋しかったようです。
あの輪にはいってみたいけど、はいれない・・・
あの空気にとけこみたいけど、とけこめない・・・
きっと、小さな手で、いっぱいの不安と淋しさを抱えながら過ごした年少クラス。
でも、少しずつ、自分をだせるようになり、心をひらけるようになっていき、今は、毎日楽しそうに登園しています。
私が体をだるそうにしていると、「あとで背中のってあげる」と言ってくれる娘。
そういえば、1年前、2年前は、うつ伏せになった背中の上を娘に歩いてもらい、だるい体をよくほぐしてもらっていました。
それをしてもらうには、もう重くなりすぎたんじゃ…。
娘の成長を見守りながら、その何十倍も見守られ。
この春、娘は年長クラスに進級。
保育園生活もラスト1年になります。